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異文化交流

11月1日の万聖節の秋休みを利用してパリから
竹下節子さんが10歳のお孫さんを連れて一時帰国された。

日本文化と日本語に触れる機会をとのお祖母さんの
思いのようで奈良や京都を巡るとのことだった。

と言うことで秋の一日我が家の8歳と
11歳の孫が異文化交流することになった。

朝表参道で会い夕方砧公園で別れるまで、豪徳寺で
招き猫を見たり経堂で回転寿司を食べたりして過ごしたのである。

言語コミュニケーションがままならない子供たちの交流の成果は不明だが、
幼年期に非言語コミュニケーションを経験したことは無駄ではなかったと願うところだ。



このように子供達が異文化交流をする一方で、筆者もまた
多文化に生きる竹下さんという異文化に接することになった。

つまり信濃町の真正会館でのカソリックの信者および
竹下ファンの集まる日曜講座を聴きに行ったのである。

テーマは「アートと信仰とインスピレーション」。

脳内の非言語空間で日仏文化が融合しているという
竹下さんの話はまさに筆者にとり異文化体験だ。

話は「聖霊」そして信仰との関係性についてから始まった。

さらにインスピレーション(霊感)と芸術についても解説されたが、
具体的にワーグナーや岡本太郎、紀貫之などが紹介され、まさに
文化論・芸術論を学ぶ絶好の機会になったのである。



常々「相場はアートだ」と思っている筆者としてはインスピレーションは
日々勝敗を決する重要なファクターだ。

そして年齢とともにインスピレーションは降りてこなくなるのか、と常々考えてきただけに
そうでもないとのご指摘に少し安心したところだ。

また「芸術は爆発だ」と言った岡本太郎の言葉に共感し、
「為替は爆発だ」とあらためて為替の楽しさを再認識したのである。

以上が10月に我が家が遭遇した異文化交流である。


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七五三

9月10日 (月) 曇り 30度

夏の名残が残る一日、一番下の孫娘が3歳となり
本来よりも一足早く七五三に日枝神社に出かけた。

幼心にも今日は晴の日と分かるのか、赤の着物に
白い足袋そして髪飾りをつけてとても楽しい様子だ。

そして10歳になったお姉ちゃんはピンク、さらにママも黄色の着物を。

お祓いの後は写真館そして境内での撮影会となった。

この子が大人になるにはこれから20年近くはかかるが、
それを見れたらなというのが陪席したジジババ4人の偽らざる気持ち
か。

20180913073251a69.jpg

(日枝神社)

20180913073319b23.jpg

(山王稲荷)

これまで何度もこの神社に通っているが、裏手の出入口にある
山王稲荷の鳥居を初めて発見した。

このスポットは写真愛好家が取り上げる東京の名所とかで
伏見稲荷にも負けぬ鳥居は一見の価値があるようだ。


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マドレーヌ

過日下田に出かけた知人からペリーロードのそばにある
日新堂のマドレーヌを頂いた。

これは現地でしか買うことはできない貴重品だが、半世紀前
下田東急ホテルに籠っては執筆に勤しんだ三島由紀夫が
愛したことでとりわけ有名な逸品だ。

大正時代から変わらぬ製法で作られているだけに変哲もないが
素朴でとても美味しい。



下田は1854年ペリーが上陸しさらに米領事館が置かれ
一時日米の外交舞台となって輝いた。

その中心のペリーロードは海岸から日米修好条約が交渉された
了仙寺に至る道だ。

このお寺に後にハリスが赴任してくるがこの地こそ日本の近代化の
出発点のひとつとして位置付けることが可能だ。

今はハリスの愛人である唐人お吉の住居跡やなまこ塀の街並みが
残る程度だが、金目鯛を食べる楽しみも含めて一見の価値がある。



幕末の15年間および維新政府が樹立されて西南戦争が起きるまでの
10年間、つまりこの四半世紀に日本は大きく動いた。

したがって今年は1868年10月に明治と改元されて150周年となり
それなりの意味を感じるが、どこを見てもそれを祝おうというムードはさらさらない。

それは戦後民主教育が太平洋戦争へと突入した原因を
明治維新による立憲君主政治の故だと
強調したせいだろうか。

明治100年を迎えた1968年に祝賀事業が計画されたが、
学生運動が華やかなりし頃で反対運動のターゲットとなり消滅したとも聞く。

実際明治政府が発足後の天皇親政の結果として
77年後に日本が敗戦に追い込まれるに至った。

とはいえ五か条のご誓文に見られる通り、立憲政治へと舵が切られたのはたしかであり、
曲りなりにも万民が封建制度から解放された重要な歴史の転換点だったと評価できるとも思うのだが。

フランス革命ほどの意味はないかも知れないが、明治維新も
それなりの意味があったのではないか。

マドレーヌの風味に150年前の明治維新に思いを馳せたのである。





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夏の終わりに

8月26日(日) 晴 36度

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる

立秋から20日近く経ったのに秋風どころか
熱風の日々が続く。

さすがに2か月に渡り猛暑が続き我慢の限界に来ているが
ともかく山形県は尾花沢のスイカを食べて涼を求めた。

かつて東北の温泉巡りに執心していた頃、銀山温泉に出かけた帰り道、
尾花沢の農園で大玉一個を買い求めたことが思い出される。



白河の関を超えればすでに秋色が濃くなっているだろう。
昨夜BSでは雄物川流域で行われた大曲の花火がライブ中継されていた。

今年は熱闘甲子園でブームを起こした金足農高の活躍を祝す意味も
込められたようだが、秋田県はいよいよ実りの秋が始まったというところだ。

かつて大曲では大変な人出に出くわしたが
秋風の吹く河畔から夜空を見上げた記憶は懐かしい。

東北と異なりこちら東京はアジア大会が行われている
ジャカルタと比べても気温湿度で負けていない。

いくら耳を澄ましても秋風の音はさらさら聞こえてこないのである。



酷暑

7月17日(火)  晴 35度

このところ連日40度に迫る酷暑が日本を襲っている。

90代のお年寄りが畑で倒れたなどとの報道を聞くにつけ
日中の野外活動を日の出前と日没後に限定しているところだ。

涼しくなる9月まであと何日熱帯夜を過ごせばよいのかと
考えるだけで気が遠くなる。

そして何よりもワールドカップも終わり2年後のこの時期に
開催される東京五輪が懸念されるのだ。

7時に始まるマラソンで一体何人の選手そして沿道の観客が
倒れるのかと想像すれば恐ろしい限りだ。

朝日の照り返しに気温は50度に達すると言われ、やはり朝5時に
繰り上げるしかないのではないか。



かつて暮らした香港では4月から10月まで南シナ海に面した
海岸で毎週のように海水浴をしていた。

それにしても夏が長くて最低気温が下がらず、
さらに湿度が高かったのには参った。

それに比べれば日本の夏は楽だと考えていたのだが、このところは朝から
夜中までクーラーをつけており、今や香港以上の暑さではないのかと思う次第だ。

ただし日本の夏はせいぜい3か月で四季がある点、
過ごしやすいのは確かではあるが。



日本の熱帯化により植生も変わったようで、近頃お米は北海道のユメピリカが
売れ筋となり、さらにスーパーの店頭ではパパイアやマンゴーも顔を出す。

パパイアやマンゴーなどは南洋の果物であり日本人にとっては
植民地時代の香りがする果物として認識されてきた。

昨今沖縄、宮崎もマンゴー作りをしているのも、
明らかに日本の気候の変化だろう。

温帯モンスーンから熱帯モンスーンに気候区分が変わるには
年間の平均気温や降雨量などが遠く足りないが、それに近づきつつ
あることだけは確かだろう。

しばらくは素麺とかき氷で暮らすしかなさそうだ。


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プロフィール

斉藤洋二

Author:斉藤洋二
銀行・生命保険会社にて
長く為替・投資業務に携わった。

特にホンコン、パリ在住の際には
中国・アジア・欧州・アフリカ
各国を見て歩いた。

歴史・料理・音楽に興味がある。

「ネクスト経済研究所」代表

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