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ビザンツ帝国

英国の歴史学者ジョナサン・ハリスの「ビザンツ帝国ー
生存戦略の1千年」を読んだ。

ビザンツ帝国は4世紀前半にコンスタンチヌス大帝が
コンスタンチノープルに遷都して以降1453年にオスマン帝国により
陥落されるまで1千年以上に渡り続いた。

その間皇帝は90人を数えたが、当初のゲルマン民族その後
イスラム教アラブやセルジュークやオスマンなどトルコに周辺を
脅かされながらも国家は存続したのである。

そして6世紀のユスチ二アヌス帝の頃に版図は最大化し、
イベリア半島からアフリカ北部さらに中東までの地中海沿岸を治め、
さらに東はユーフラテス川、そして北は黒海に至った。



ローマ帝国が東西に分離した後、5世紀後半に西ローマ帝国は滅亡したが
東ローマはビザンツ帝国として繁栄したことは19世紀のギボン
はじめ多くの歴史家が注目しては研究をしてきた。

コンスタンチノープルにはパンを焼いた窯が多数発見されているように
国家が十分なパンを配給し、またサーカスを催すなど国民を慰撫
したことが国家繁栄の大きな理由のひとつとも言われている。

今回著者はこの回答として、武力ではなく忍耐強い外交や芸術・文学など
キリスト教文化の魅力によるものと結論づけている。

つまりハードパワーではなくソフトパワーにより周辺世界と交渉し、
イスラム教アラブなどとの共存を可能としてきたと言うことである。



ビザンツ帝国と同様に長く続いた国家に都市国家ベネチアがある。

ビザンツと比べ人口は10万にも及ばない小さな都市国家だが、
それでも9世紀に建国されて以来19世紀までの1千年に渡り
国家として存続したのである。

その政治体制を国内、国際情勢など時代の要請に合わせて様々に
変えたが、言ってみれば国民の知恵が結集した結果だったと言える。

現在の世界は米国が軍事力そしてソフトパワーで世界に
君臨しているが、今後国家の存亡をかけてどのような知恵を出すのか。

また米国一辺倒の日本は東アジアで生き残るために中国そして
北朝鮮とどのように付き合ってゆくのかその知恵の発揮が試される。


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継体天皇

プロイセンの宰相ビスマルクは「賢人は歴史に学ぶ」と言ったが
このところ「応仁の乱」が流行るように今も変わらず日本史人気は根強い。

一方現代の皇族には過去半世紀において男子は
悠仁親王以外は生まれておらず、皇統の存続が懸念されている。

したがって万世一系を旨とした125代にわたる天皇家において
異色の存在である26代の継体天皇の即位に学ぼうとする向きがある。



6世紀初頭に皇位についた継体天皇はヤマトから離れ近江もしくは
福井に長く土着した一族で、帰化人との接触も多く地方の豪族として
大勢力になったと推測されている。

5世紀後半雄略天皇(21代)がライバルつぶしを行った結果
男系男子がいなくなった。

したがって22代こそ息子の清寧に継承されたがそれ以降23,24,25代は
3世代遡り血縁的にかなり遠いところから選ばれたのである。

さらに25代の武烈で仁徳(16代)の子孫は完全に途絶えた。

そこでさらに応神(15代)まで遡り、そのひ孫の孫つまり
6世代目にあたる継体へと引き継がれたのである。

これは王権の簒奪が行われたと見るのが妥当かも知れず、
平和的に権力が移行されたのではないとも思われる。

とはいえ万世一系は続いたと解釈されたのである。



このように25代から26代へは何世代も遡って継承が行われており
果たして血統的につながっているのかも疑わしいが、ともかく
天皇家は継体以降1500年にわたり続くことになる。

そして現在のところでは悠仁の血のスペアの存在は余り見当たらず
明治天皇よりさらに遡ってその係累をも対象とすべきなのかも知れない。

すでに宮内庁において該当者調査が進んでいるとも思えないが、
数十年後には江戸時代の孝明や仁孝天皇の血統でIT長者にでも
なっているような人物が天皇になるということがあるのかも知れない。


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ブルターニュ

新宿高島屋にあるブルターニュの郷土料理店
ブレッツ・クレープリー」へ出かけた。
(かつてのル・ブルターニュから改名)

この店はイギリス海峡に面したカンカルに本店があり、
パリそして表参道に出店している。

そば粉のガレットそしてチョコレートのクレープをほおばると、
口の中にアイスクリームの甘さが広がった。

さらにカンペールの街並みやモンサンミッシュエル城
の絵に囲まれて心は一気にブルターニュへと跳躍した。





このところ朝日新聞では芥川賞作家で目下ロワール川の河口
近くのサンナゼールに滞在している青山七恵とAPUの出口治明氏の
往復書簡を掲載している。

その中で出口氏はかつてブルターニュ公国の最後の
女公となったアンヌ・ド・ブルターニュの足跡を訪ねてナントの
ブルターニュ大公城まで出かけたことを記していた。

この女性は2人のフランス王の妃となったが跡継ぎに恵まれず、
結局ブルターニュはフランスに併合されることになった。

それは16世紀のことで500年前の話である。



ビスケー湾に面した港町カンペールは沖合に浮かぶ
ベル・イル(美しい島)へのフェリーの発着場でもある。

ミッテラン大統領が毎夏この島で過ごしたいうことを聞いて
かつて海を渡ったことがある。

ブルターニュははるか昔の紀元前5千年ごろに巨石文化が
栄えたところで、この島にもメンヒル・ドルメンなどの遺跡が多数残っていた。

その後ケルト人が移住してきて独特の文化が形成され、
今もブルトン語という独自の言葉は現存しているのだ。

ことほど左様に欧州の歴史の複雑さは日本人の想像を超えるが
それだけに面白いということだろう。

何はさておき時々クレープの甘味を楽しむことにしたい。


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ヤタガラス

過日埼玉スタジアムでハリル・ジャパンはオーストラリアに快勝し
見事ロシアワールドカップへの切符を手にした。

小学2年生の孫息子もサムライブルーのユニフォームを着てテレビ応援し、
さらに翌日その姿で登校したように小学生たちは大盛り上がりした様だ。

ところでこのユニフォームには導きの神そして太陽の化身とされる
三本足の八咫烏(ヤタガラス)がエンブレムとして縫い付けてある。

このカラスは神武天皇東征の折りに熊野から大和の国への道先案内を
したと言われるなどの縁起物で、今も日本代表は出陣の前に熊野三山に
お参りに行くとのことだ。



この三足カラスは、大陸、朝鮮半島でもその神話・伝説に登場する。

現在テレビで観ている韓流ドラマの主役・チユモンも三足カラスの
化身とされており、その軍旗にはこの三足カラスが描かれている。

実際高句麗(北朝鮮)の墳墓や日本のキトラ古墳などの壁画には
三足カラスが描かれているとのこと。

つまり前漢時代の三足カラスの伝承が、朝鮮や日本に広がったのだ。



紀元前後の前漢の文化が半島を経由して日本に伝わるのは、
5~7世紀ぐらいだろうか。それともそれ以前か?

663年に日本が白村江で敗れたあと唐・新羅の占領軍が
やってきたが、遅くともその頃までに大量の大陸文化がもたらされていたのだろう。

実際日本国を作った藤原不比等の父中臣鎌足は百済からの
帰化人とされ、天智天皇からその功績に対し藤原の姓を下賜された。

そして不比等が記・紀を編纂して神話をさらに律令国家を作る。

この結果、表には天皇家が立つものの、裏では完全に藤原家が縁戚関係を
背景に300年にわたり国家を支配することになる。

そして桓武天皇も母が百済からの帰化人であったことから、その末裔たる
現代の天皇家も同様に朝鮮の流れを汲んでいることは明らかだ。

どちらにしても日本は歴史的・文化的に大陸そして半島の延長に
あったということだ。


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世界無形遺産

「シベリア抑留」は戦後満州にいた日本兵など推定70万人が長期にわたり
極寒の環境下においてロシアにより強制労働を課された事実だ。

この事実が資料・写真などとともに国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
世界記憶遺産に登録されたが、ロシアは「乱暴に歪曲している」と批判している。

この根拠は、ロシアは終戦日を9月2日としており、それ以前の拘束は
「抑留者」ではなく、合法的な「捕虜」であるとのこと。

このように記憶遺産の登録は歴史の認定に関わるものであり、
関係者に様々な波風を立てることになる。

現在ユネスコが登録する遺産には、世界遺産、世界記憶遺産
そして無形文化遺産があるが、今やそのお墨付きを得ることで
様々な利益誘導を図ろうと各国ともに必死だ。

それにしても文化、芸術を振興し平和な社会を願うユネスコによる
これらの事業が経済目的に止まらず政治利用される例が
近頃目立ち紛争の火種となっているのは本末転倒とも見える。



前述のシベリア抑留以外に日本が絡む最近の例では「明治日本の産業革命遺産」
の登録において強制労働が行われていた事実について韓国の主張が通り
日本が外交的敗北を喫したとして問題化した。

そして40万人いたとされる「慰安婦」の歴史が韓国から申請され
来年にも登録される見込みだ。

今後日韓さらに中国を含めた三国間において、歴史認識問題は
ユネスコを舞台にますます激しさをます勢いだ。



日韓同様に日中のせめぎ合いも激しい。

一説には30万人とも言われる南京大虐殺事件が
中国により申請され登録された。

これを受けて日本はユネスコから手を引くべきだとの
強硬意見も聞かれる。

ユネスコの拠出金は米国の22%に次いで日本が11%と2位。
しかし中韓にしてやられてばかりいるので不満が高いのは事実だ。

「心の中に平和のとりでを築く」ことを合言葉に始まった
ユネスコも設立後65年を経過して
巨大で有力な機関へと発展した。

その結果平和を築くよりも争いの原因になりつつある現状、
ユネスコのあるべき姿を見直す時期に来ているのではないだろうか。



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プロフィール

斉藤洋二

Author:斉藤洋二
銀行・生命保険会社にて
長く為替・投資業務に携わった。

特にホンコン、パリ在住の際には
中国・アジア・欧州・アフリカ
各国を見て歩いた。

歴史・料理・音楽に興味がある。

「ネクスト経済研究所」代表

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