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松と藤

昨秋奈良を訪れた際に興福寺は中金堂が再建され、
落慶法要でにぎわっていた。

また日経新聞でも11月「私の履歴書」において興福寺貫首の
多川俊映氏が執筆した。

そんな折雑誌の鼎談で朝吹真理子氏が藤原家について、
天皇家を松とすればそれに絡みつく藤のような存在で
生き長らえてきたと語っていた。

ということで目下藤原家及び氏寺の興福寺についてあれこれと考えている。



藤原家の始祖は天智天皇とともに大化の改新を
成し遂げた(帰化人との説もある)中臣鎌足。

その功績に対して藤原姓が下賜され、さらに天智天皇のご落胤とも
言われる2代目不比等の活躍を機に同家は大きく発展する。

3代目において北、南、京、式の4家に分かれるが結局藤原北家が
ひとり栄えることになり、平安中期に「かけたることなき望月の」と
詠まれた道長父子の登場に至る。

だが平氏の台頭により興福寺は焼き討ちされ同時に武士の時代に藤原家は
苦難の時代を送ることになる。

この時期同家は近衛、九条、一条、二条、鷹司の五摂家に分かれるが
天皇家にまとわり生き延びる習性を一段と強める。

ともかく源平藤橘と日本の名家は4家からなるとされるが
藤原家の力が抜きんでてきたことは明らかだ。



明治維新後は西園寺家および近衛家が藤原家の主流となるが、
平成に入っても藤原家の一員として細川政権が表舞台に顔を出したりする。

世界の名家として、愛新覚羅家やブルボン家そしてハプスブルク家が
食事会をしたりする風景がテレビに映し出されたりすることがある。

これら世界の名家や天皇家と比べても1300年に渡る藤原家の息の長さは
それに比肩すると言って良いだろう。

次回奈良に行く機会があれば興福寺のみならず、藤原家氏神の
春日大社、さらに鎌足と天智天皇が蘇我入鹿討伐の密議を
したという談山神社にも足を伸ばしてみたいと思う。



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まほろば

やまとは 国のまほろば たたなづく青垣
やまこもれる やまとしうるはし

11代景行天皇もしくはその息子のヤマトタケルが遠くから美しい
やまとを思って作った歌とされる。

したがってこのところ「まほろば=美しい土地」と謳われた奈良を
懐かしく感じるのも関西出身者としては無理からぬところのようで、
昨年は2度訪れたが今年もまた出かけたいと思う。

そんなおり南都銀行が東京の顧客そして奈良のファンを対象にした
「まほろば支店」の開設講演会に参加した。



「まほろば支店」とは仮想の支店、つまり同行もインターネット
バンキングを開始するとのこと。

地銀もインターネットバンキングにコストをかけて取り組まねばならなくなった
ようで、預貸率が悪化し、低金利が続く中でもあり
銀行業も大変だなと思ってしまう。

とはいえそんなことは忘れて、帝塚山大学の西山厚教授の「大仏さんと
行基さん」というお話を聞いて奈良時代にタイムスリップしたのである。

この先生のことは知らないが、なんでもNHK奈良放送局で毎週
古寺を巡る番組を持っていて地元では人気を博しているとの
自己紹介があったのでたぶんそうなのだろう。

ともかくユーモアにあふれる話ぶりに引き込まれつつ
行基の人となりそして聖武天皇との交流などについて
お話を聞いたのである。



行基はため池や灌漑など土木事業で活躍し大仏づくり
に協力した人として小学校6年生は知っていなければならないとのことだ。

しかし行基の廟や建立したお寺などは馴染みのないところで
したがってこの高僧の詳細は余り知られていない。

と言うことで講演は今ひとつインパクトが乏しかったが、
やはり大仏にまつわる話ならば、聖武天皇やその娘の
孝謙天皇さらには藤原家の話を聞きたかったなというのが偽わらざる気持ちだ。

ともかく今回のお礼に、そして古寺関連の案内やギフトが定期的に
もらえるとのことでもあり早速まほろば支店に口座を
開設することにした。


ビザンツ帝国

英国の歴史学者ジョナサン・ハリスの「ビザンツ帝国ー
生存戦略の1千年」を読んだ。

ビザンツ帝国は4世紀前半にコンスタンチヌス大帝が
コンスタンチノープルに遷都して以降1453年にオスマン帝国により
陥落されるまで1千年以上に渡り続いた。

その間皇帝は90人を数えたが、当初のゲルマン民族その後
イスラム教アラブやセルジュークやオスマンなどトルコに周辺を
脅かされながらも国家は存続したのである。

そして6世紀のユスチ二アヌス帝の頃に版図は最大化し、
イベリア半島からアフリカ北部さらに中東までの地中海沿岸を治め、
さらに東はユーフラテス川、そして北は黒海に至った。



ローマ帝国が東西に分離した後、5世紀後半に西ローマ帝国は滅亡したが
東ローマはビザンツ帝国として繁栄したことは19世紀のギボン
はじめ多くの歴史家が注目しては研究をしてきた。

コンスタンチノープルにはパンを焼いた窯が多数発見されているように
国家が十分なパンを配給し、またサーカスを催すなど国民を慰撫
したことが国家繁栄の大きな理由のひとつとも言われている。

今回著者はこの回答として、武力ではなく忍耐強い外交や芸術・文学など
キリスト教文化の魅力によるものと結論づけている。

つまりハードパワーではなくソフトパワーにより周辺世界と交渉し、
イスラム教アラブなどとの共存を可能としてきたと言うことである。



ビザンツ帝国と同様に長く続いた国家に都市国家ベネチアがある。

ビザンツと比べ人口は10万にも及ばない小さな都市国家だが、
それでも9世紀に建国されて以来19世紀までの1千年に渡り
国家として存続したのである。

その政治体制を国内、国際情勢など時代の要請に合わせて様々に
変えたが、言ってみれば国民の知恵が結集した結果だったと言える。

現在の世界は米国が軍事力そしてソフトパワーで世界に
君臨しているが、今後国家の存亡をかけてどのような知恵を出すのか。

また米国一辺倒の日本は東アジアで生き残るために中国そして
北朝鮮とどのように付き合ってゆくのかその知恵の発揮が試される。


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継体天皇

プロイセンの宰相ビスマルクは「賢人は歴史に学ぶ」と言ったが
このところ「応仁の乱」が流行るように今も変わらず日本史人気は根強い。

一方現代の皇族には過去半世紀において男子は
悠仁親王以外は生まれておらず、皇統の存続が懸念されている。

したがって万世一系を旨とした125代にわたる天皇家において
異色の存在である26代の継体天皇の即位に学ぼうとする向きがある。



6世紀初頭に皇位についた継体天皇はヤマトから離れ近江もしくは
福井に長く土着した一族で、帰化人との接触も多く地方の豪族として
大勢力になったと推測されている。

5世紀後半雄略天皇(21代)がライバルつぶしを行った結果
男系男子がいなくなった。

したがって22代こそ息子の清寧に継承されたがそれ以降23,24,25代は
3世代遡り血縁的にかなり遠いところから選ばれたのである。

さらに25代の武烈で仁徳(16代)の子孫は完全に途絶えた。

そこでさらに応神(15代)まで遡り、そのひ孫の孫つまり
6世代目にあたる継体へと引き継がれたのである。

これは王権の簒奪が行われたと見るのが妥当かも知れず、
平和的に権力が移行されたのではないとも思われる。

とはいえ万世一系は続いたと解釈されたのである。



このように25代から26代へは何世代も遡って継承が行われており
果たして血統的につながっているのかも疑わしいが、ともかく
天皇家は継体以降1500年にわたり続くことになる。

そして現在のところでは悠仁の血のスペアの存在は余り見当たらず
明治天皇よりさらに遡ってその係累をも対象とすべきなのかも知れない。

すでに宮内庁において該当者調査が進んでいるとも思えないが、
数十年後には江戸時代の孝明や仁孝天皇の血統でIT長者にでも
なっているような人物が天皇になるということがあるのかも知れない。


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ブルターニュ

新宿高島屋にあるブルターニュの郷土料理店
ブレッツ・クレープリー」へ出かけた。
(かつてのル・ブルターニュから改名)

この店はイギリス海峡に面したカンカルに本店があり、
パリそして表参道に出店している。

そば粉のガレットそしてチョコレートのクレープをほおばると、
口の中にアイスクリームの甘さが広がった。

さらにカンペールの街並みやモンサンミッシュエル城
の絵に囲まれて心は一気にブルターニュへと跳躍した。





このところ朝日新聞では芥川賞作家で目下ロワール川の河口
近くのサンナゼールに滞在している青山七恵とAPUの出口治明氏の
往復書簡を掲載している。

その中で出口氏はかつてブルターニュ公国の最後の
女公となったアンヌ・ド・ブルターニュの足跡を訪ねてナントの
ブルターニュ大公城まで出かけたことを記していた。

この女性は2人のフランス王の妃となったが跡継ぎに恵まれず、
結局ブルターニュはフランスに併合されることになった。

それは16世紀のことで500年前の話である。



ビスケー湾に面した港町カンペールは沖合に浮かぶ
ベル・イル(美しい島)へのフェリーの発着場でもある。

ミッテラン大統領が毎夏この島で過ごしたいうことを聞いて
かつて海を渡ったことがある。

ブルターニュははるか昔の紀元前5千年ごろに巨石文化が
栄えたところで、この島にもメンヒル・ドルメンなどの遺跡が多数残っていた。

その後ケルト人が移住してきて独特の文化が形成され、
今もブルトン語という独自の言葉は現存しているのだ。

ことほど左様に欧州の歴史の複雑さは日本人の想像を超えるが
それだけに面白いということだろう。

何はさておき時々クレープの甘味を楽しむことにしたい。


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プロフィール

斉藤洋二

Author:斉藤洋二
銀行・生命保険会社にて
長く為替・投資業務に携わった。

特にホンコン、パリ在住の際には
中国・アジア・欧州・アフリカ
各国を見て歩いた。

歴史・料理・音楽に興味がある。

「ネクスト経済研究所」代表

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