「敵と寝て」

先月、「ディオール」のデザイナーであるガリアーノは
警察に逮捕され、解雇された。
パリのカフェで反ユダヤ的暴言を吐いた咎に依る。


欧州には現在も親ナチスの潮流がある。
同時にそれ以上に大きなナチスへのアレルギーが存在し
時としてこの対立が表面化する。


先月、米国のハル・ボーンが「敵と寝て―ココ・シャネルの秘密戦争」
を出版し話題となっている。(まだ日本では発売されていない。)

米国人が仏文化について語るときには一種の「敵意」
(羨望の裏返しとの見方もある)が存在する。

従って著者の彼女への非難についてはある程度割り引かねばならない。
しかし彼女が親ナチスの立ち場からスパイ活動を行っていた事は明白。



シャネルの活躍は目覚ましかった。

1910年代にデザインした「シャネルスーツ」は
女性をコルセットから解放し、現代ファッションの基礎となった。


また、喪服にしか使われなかった「黒」を
シンプル&エレガンスとして普遍化したのは偉大な功績である。

60年代には「シャネルスーツ」の機能美が、社会進出する女性の支持を受ける。
20世紀後半には不動の名声を勝ち得た。



シャネルの人生は、仏南西部オーベルニュの孤児時代に始まる。
お針子、キャバレーでの歌手などを経て、帽子のデザインで世に出る。

パリ中心部のマルゼルブ通り、更にはカンボン通りに店を構えた。
香水からオートクチュールまでを自社ブランド化し4000人の従業員を抱えるに至る。



40年、仏にナチスが進駐。
仏ではレジスタンス活動が活発化するが、彼女はナチス将校と愛人関係へ。
工作員のリクルートなどスパイ活動に専念する。

この経緯こそが、今回の評伝の過激な題名「敵と寝て」の背景である。
「事業継続に当たってはやむをえなかった」と当人は語る。


但しこの売国奴的行為の代償は高くつく。
戦後15年間ローザンヌでの亡命生活を余儀なくされた。

仏帰国後はモード界へ復帰したが、71年に88歳で死去した際には
パリ市内の墓地での埋葬を拒否された。結局スイスに眠る。



シャネルはデビュー以来50有余年、女性進出の旗頭であり続けた、
とこれまでの多くの評伝は語る。

しかし今回の著者は、実態は生涯「男の囲われ者」「男への依存」から
抜け出せなかったと詳らかにした。

パリ進出に当たっては英・ウエストミンスター公爵の後ろ盾が有名だが
事業拡大の都度、愛人を利用し、その支援を受け続けた。


「ビジネスの為には、敵とでも寝る」とする心意気やよし、とするか。
それとも、彼女の様に男にすがる女の存在こそ、社会での自立を図り
真摯に努力する女性を貶める象徴でしかない、とするか。


その人物評や女性の社会的自立について、種々意見もあろう。
しかし議論の帰趨とは関係なく、シャネルブランドの人気は永遠不滅のようだ。








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プロフィール

Author:斉藤洋二
銀行・生命保険会社にて
長く為替・投資業務に携わった。

特にホンコン、パリ在住の際には
中国・アジア・欧州・アフリカ
各国を見て歩いた。

歴史・料理・音楽に興味がある。

「ネクスト経済研究所」代表

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