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帰りなんいざ

ギリシャ古典から現代にいたるまで西洋の文学は
往々にして人間の観察を主題にしてきた。

18世紀のルソーによる「自然に帰れ」との呼びかけがあったが、
それでも人間の研究こそ西欧文学の根幹をなす。

それに引き換え中国の古典では人間と同じように
自然を対象にする傾向が強い、

以上は比較文学家の沓掛良彦氏が「陶淵明私記」において
指摘していたことの要点だ。

この著作が私記と名づけられたように、どの学術世界も
専門家は自らのシマに拘泥し、その闖入者に不快感を
催すという。

この反発を恐れて著者はへりくだって私記として素人の建前
を取っているが、その内容は深い。

実際その深さは吉川幸次郎、高橋和巳など引用された
中国文学者に劣らないと素人の筆者には思えたのだが。



4世紀の東晋から魏の時代を生きた陶淵明と言えば貧乏貴族の
出身であり、官途を目指すが挫折して41歳で田園に帰る。

そしてその代表作品には「桃花源記」「帰去来の辞」がある。

「桃花源記」は漢文の授業で習ったが
桃の花が咲き乱れる桃源郷に迷いこむ話だ。

そこで何世紀にもわたり世俗から離れて暮らす人々に
遭遇するのだが、ユートピアなど存在するはずもなく
陶淵明の理想の世界ということだ。

そしてその後読んだのが「帰去来辞」だ。

帰りなんいざ。
田園将まさにあれんとす、なんぞ帰らざる。
既に自ら心を以て形のえきとなす、
なんぞ惆悵(ちうちやう)として独り悲しまん。

これぞ隠遁生活にあこがれるサラリーマンの気持ちを
代弁するものであり、心にしみる詩だ。

そしてそこでの生活は、「悠然と南山を眺望す」と言うように
陶淵明の心は雄大かつ静かさに満ち溢れているように思ったのだが。



故郷に帰り心穏やかに暮らしたはずの陶淵明ではあるが、
、実は様々な中央の情報が入っていたとも。

つまり時に心乱れることもあったと言うことで、昔も今も田園において
心穏やかに生きることはとても難しいということか。

つまり名実ともに田園の生活、隠遁の生活を送ることは至難であり
さすれば俗人の筆者にとって陶詩の世界に生きることなど
夢のまた夢と言うことだ。




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プロフィール

斉藤洋二

Author:斉藤洋二
銀行・生命保険会社にて
長く為替・投資業務に携わった。

特にホンコン、パリ在住の際には
中国・アジア・欧州・アフリカ
各国を見て歩いた。

歴史・料理・音楽に興味がある。

「ネクスト経済研究所」代表

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