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ダ・ヴィンチ

ウオルター・アイザックソンの「レオナルド・ダ・ヴィンチ上下」
(文芸春秋社)を読んだ。

この著者はこれまでベンジャミン・フランクリン、アインシュタイン
そしてスティーヴ・ジョブズなどの天才の伝記を書いてきた。

そして今回は500年前のルネサンス最盛期である
1452年~1519年を生きた天才ダ・ヴィンチに迫った。

ダ・ヴィンチは生涯2万ページほどの自筆メモを書いたとされ
著者はそのうち現存する7200ページのメモを克明に読み込み
その実像を描き出した。



イタリアと言えばとりわけトスカーナの風景を気に入っているが、
ダ・ヴィンチはまさにそこの人。

フィレンツェの郊外20キロにある
ヴィンチ村の公証人の家系に生まれたが、
その母は農家の娘であり生涯非嫡出子として扱われる。

父方の祖父母に育てられ12歳でフィレンツェの工房で修行。

その能力は師匠を驚愕させるとともに、その興味は彫刻、
絵画の領域に止まらず解剖学、科学、軍事学へと発展した。

同時にかなりの美少年であったそうで、師匠ベロッキオの
いくつかの作品のモデルもしていたとの説がある。

とはいえ女性との浮いた話は皆無つまり同性愛者だった。

フィレンツェを振り出しにミラノ、ローマへとパトロンを探す
人生を辿るが、その中にはロレンツォ・メジチやチェザーレ・
ボルジアなど当代の有名人の庇護をうけることになる。

またボルジアの下でマキャベリとともに働き、さらにヴァチカンでは
人生で唯一のライヴァルであったミケランジェロと競ったりした。



67歳で死去する最晩年の3年はロアールのアンボワーズにおいて
フランソワ1世の寵愛を受けて暮らす。

その頃もまた多くの息子たち(=恋人)に囲まれて楽しく暮らしていたと
されるが、それはまさに150人の息子たちに見送られたジャニー喜多川と
同様だったと言うことか。

因みにこの作品は同じファーストネームを持つ
レオナルド・ディカプリオ主演で映画化される。

その名前の由来は、この人の母が妊娠中にウフィッツィ―美術館で
ダ・ヴィンチの作品を見ていた時に息子がおなかを蹴ったとことによるとか。

出来すぎた話なのでその真偽は不明としておこう。






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プロフィール

斉藤洋二

Author:斉藤洋二
銀行・生命保険会社にて
長く為替・投資業務に携わった。

特にホンコン、パリ在住の際には
中国・アジア・欧州・アフリカ
各国を見て歩いた。

歴史・料理・音楽に興味がある。

「ネクスト経済研究所」代表

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