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賢帝

古代ローマにおいて五賢帝の時代があったように
中国皇帝200人、国王1000人の中でも漢の武帝や
唐の太宗が賢帝として知られる。

さらに17世紀半ばに始まる清の4代康熙帝、5代雍正帝
(ようせいてい)、6代乾隆帝の治世も繁栄がもたらされたとして
「康雍乾盛世」などと言われる。

康熙帝60年、乾隆帝61年の間に挟まれた雍正帝の
在位は僅か13年に過ぎないが、漢民族の統治を図り
財政基盤を強固にした点で評価される。

とくに直接地方官とやりとりをするなど睡眠を削って働き、
さらに軍機処などを設けて皇帝親政のシステムを作り、
270年におよぶ愛新覚羅家の王朝の存続に貢献することになる。



そもそも康熙帝には皇子が35人、公主が20人いたが、
母親の地位が余り高くない雍正帝が何故後継者となったのか?

本命の皇太子が2度にわたり廃太子されるなど宮廷内の暗闘は
すさまじく、最終的に雍正帝がライバルを押しのけて即位する。

その裏にクーデターを起こして王位を簒奪したとも言われ、
即位後も兄弟を含めたライバルの弾圧を続けたとされる。



この皇位継承の混乱を受けてその後の継承については
紫禁城・乾清宮の(3代順治帝の書いた「正大光明」の)
扁額の裏に後継者名を記すことになった。

この指名の書は皇帝により適宜変更されたというが
お陰で清朝後半に跡目争いの熾烈化は多少押さえられた
ようにも見える。

ともかく清朝12人の皇帝の中で前半の乾隆帝までは
荒野をかける強い血統の故か賢帝を輩出した。

しかしその後荒ぶる血統は衰弱し咸豊帝、同治帝、光緒帝、
宣統帝(溥儀)など寿命も短い脆弱な皇帝が続出することになる。

お陰で西大后の活躍する場面が提供されることになり、
逆に清の命脈は伸びることになるのである。


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プロフィール

斉藤洋二

Author:斉藤洋二
銀行・生命保険会社にて
長く為替・投資業務に携わった。

特にホンコン、パリ在住の際には
中国・アジア・欧州・アフリカ
各国を見て歩いた。

歴史・料理・音楽に興味がある。

「ネクスト経済研究所」代表

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